2015/04/17

10年後の自分を思い描くことについて

人生二度目の職探しをする前に、尊敬している女性に相談しに行ったことがあった。
彼女は「10年後、自分がどんな人でありたいかイメージしながら行動することが大切」とおっしゃった。

20歳の誕生日当日にあの大きな地震があって、「この世の終わり」とは思わないまでも(人々は常に『我々こそが特別な時代に生きている』と思いがちだがそれは驕りだと佐々木中氏が書いていた)、
10年後のことなんて予測しても当たりっこ無い、自分の人生を計画した通りに全うするなんて絶対に無理だ、と思った。
という訳で「10年後の自分なんてイメージできるのだろうか」と不安に思っていたが、違った。「計画」と「イメージして動く」は具体的な内容が違った。

私はよく計画倒れする。計画倒れする人というのはすごろくのごとく全てのカレンダーにtodoリストを書き連ねるので、1つのマスを消化し損ねるとその日で足踏みしてしまう。「1、2、3、4…」と駒を歩かせるようにひとつひとつのマスでステップを踏まないとゴールに辿り着けない。未来に進んでいるように見えて実は自分がつくった計画という過去を生きているのであって、もちろん確実にゴールに辿り着くには有効な方法ではあるけれども、計画を実行する段階で私は既に死んでいる。死んで過去をなぞる職人になっている。

(もちろん計画を実行するときに生き生きしている友人も沢山いる。自分とは違う次元を生きていると思う。その楽しさは想像できるが真似できない。ちょうど空を飛ぶ夢を見ているときみたいな感じだ。)


話が逸れた。
一方、「イメージして動く」ことはデッサンと似ている。デッサンをするときは頻繁に席を立って絵を遠くから見ろと言われる。鉛筆を動かしている時はどうしても視野が狭いので、離れて見た時に想像した完成図とのギャップをきちんと確認する。
今の自分と10年後の自分を交互に想像しているときの気分は、絶えず鉛筆を動かしながら時々席を立って絵を眺めているときのそれと近い。残念なことにデッサンはあまり上手くなかったけれど。
デッザンには大まかな手順が存在し、積み重ねが完成度に影響するものの、1つの段階を完璧にこなしてから次に進むことが重要な訳ではない。ある程度進んだ後に、1つ前、二つ前の段階の痕跡を改めて確認し、おかしいと思えば手を加えるので流動的である。あとはそれぞれの段階のパワーバランスが良いことが重視される。

10年後の世の中なんて全く想像ができない、まず自分の職業が世の中に存在しているかも怪しい。
が、ふと我にかえって「こんなはずじゃなかった」とはならないようにしたい。
贅沢を言えば「想像以上のものができた」となりたい。
そう思いながら近づいたり離れたりして自分を見続けている。


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